特別な趣が漂う羅州の名所との出会い。
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尋香寺は、錦城山麓にある小さな寺院で、統一新羅時代に元暁(ウォンヒョ)が創建したと伝えられる。創建当時の寺名は“弥勒院”だったが、高麗時代である951年に“神王寺”、その後“神皇寺”に改名された。
尋香寺が有名な理由は、高麗顕宗2年、契丹軍の侵入によって顕宗が羅州に避難していた時に、この寺で国の平安祈願を捧げていたと伝えられているからである。“神皇寺”という名称から考えて、羅州で避難生活を送っていた顕宗が、この寺で行われた国の安寧を祈る大法会に参加した可能性がある。後に寺の名称は、神皇寺から現在の尋香寺に改称されたが、“尋香”とは、仏教界において八部衆の一人である“ガンダルヴァ”を意味し、香(ガンダ)のみを食べていたことから“尋香行”とも呼ばれた。
尋香寺は、1976年8月に大雄殿の“弥勒殿”が梅雨によって崩壊したが、1977年10月に復元された。そして、復元工事中に、1789年に作成された上樑文(上棟を祝う文)が発見され、この上樑文に「神皇寺龍華殿」と記されていたことから、当時の寺名は“神皇寺”で、弥勒殿もまた“龍華殿”と呼ばれていたことが分かった。1982年には大雄殿を再建し、仏殿名を“極楽宝殿”に改称した。