特別な趣が漂う羅州の名所との出会い。
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駟馬橋碑は、顕宗の歴史的事実を記録するために、1653年、当時の金城県監だった鄭之虎(チョン・ジホ)が、駟馬橋を補修した後に建てた碑である。
1011年、高麗顕宗2年、顕宗と臣下たちは、北方の契丹族を避けて、高麗王室の後援者である羅州に避難してきた。その後、顕宗が避難生活を終えて帰京する時に、4頭の馬がひく馬車に乗って開京(現開城)へと向かい、途中、現在“サメギ”と呼ばれる場所にあった橋を渡ったという。その後、この橋は、馬4頭の馬車が通ったということで、“四馬橋(駟馬橋)”と呼ばれるようになったという。
駟馬橋碑には、顕宗が羅州で10日間の避難生活を送った内容が記録されている。1千年前の、羅州民に歓迎される中、駟馬橋を渡る顕宗の行列が目に見えるようである。