特別な趣が漂う羅州の名所との出会い。
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流石は千年牧史“羅州”、羅州には、羅州牧使の官衙(役所)があり、それだけ儒林たちの勢力も強かった。羅州市果院洞、錦溪洞にある羅州牧官衙と郷校は、2007年7月31日に史跡第483号に指定された。
その理由は、先ず、羅州は農業が産業の根幹を成していた三国時代から穀倉地帯として豊かさを享受した地域であり、高麗王朝から朝鮮時代までの約1,000年間、牧としての地位を維持した全羅道の代表都市であったからである。現存する官衙と郷校の建物もそれに相応した威厳さを持ち、中世社会を研究するにあたって高い価値があると評価されている。
次に、羅州郷校は、平地に建てられた“前廟後学”の配置になっており、朝鮮時代の典型的な郷校建築の模範様式だからである。特に、宝物第394号に指定されている“大成殿”は、規模・様式・格式面において非常に優れており、朝鮮後期の郷校建築を代表する建築物であることから、建築学的価値も高い。また、羅州郷校は、朝鮮時代の教育施設で見ると、ソウルの成均館に次ぐ程の規模の大きさだけでなく、教育と祭祀の固有機能を留める重要な価値を持っている。