錦城討平碑

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- 8, Geumseonggwan-gil, Naju-si, Jeollanam-do, Republic of Korea
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- Free
所有者 : state ownership
規模 : Height 190cm, Width 58cm
指定番号 : Cultural Properties Data No. 175
時代 : 35 years of King Gojong (1895)
指定日 : 32928
錦城討平碑は、羅州邑城の守城軍が、東学軍と戦って羅州城を堅守したことを記念するために、甲午農民戦争(東学農民運動)の翌年である1895年に建てられた碑である。
錦城討平碑は、本来、羅州牧東軒の正門である正綏楼の前に立てられたが、1930年に錦城館の前に移され、その後1976年に現在の位置である錦城館の中庭に移された。中庭の片隅に並ぶ各不忘碑・善政碑・記念碑の中で一番規模が大きい記念碑である。碑文には、先ず甲午農民戦争(東学農民運動)が起こり、羅州にまで農民軍が攻め入ってきた過程が記録されており、以後、留学を奨励し忠孝を強調した閔種烈(ミン・ジョンニョル)羅州牧史が、多くの将帥を指揮しながら緻密な防御計画を立てたと記してある。東学軍と官軍が羅州牧内の各地で戦闘を繰り広げた過程が詳しく叙述されている。
この討平碑は、甲午農民(東学)革命当時の羅州をはじめ、湖南地方で起きた歴史的事実が詳しく記録されており、全羅南道文化財資料第175号に指定された。碑文の内容は、羅州の儒林である松沙奇宇萬(キ・ウマン)、文を書いたのは宋載禧(ソン・ジェヒ)だと記されている。錦城討平碑は、羅州官衙の子孫にとってはただの記念碑だが、心苦しい歴史を心の内に秘める東学軍の後裔にとっては、あまり快く思わない記念物だろう。